
池谷薫監督「蟻の兵隊」広島・光洋寺上映会
上映後に監督トーク
日時:10月18日(土)18時上映開始
会場:光洋寺(広島市南区向洋本町16-7)JR向洋駅から徒歩17分
参加費:一般1500円 大学生・中高生500円
主催:ゲストハウス灘
お問い合わせ:080-6362-4047(黒田)keikuro0101@gmail.com
※公共交通機関を利用してお越しください。
《池谷薫監督からのメッセージ》10/18(土)「蟻の兵隊」を広島市南区の光洋寺で上映する。ここでの上映は昨年の「ルンタ」に続いて2回目。もちろん僕も参加してしっかりお話しさせていただく。
光洋寺は浄土真宗のお寺だが住職を置かず町内の婦人会の方々が守っている。あたり一帯は原爆が落とされたとき、爆心地との間に比治山と黄金山という2つの山があり、それが盾となって爆風を直接受けることなく倒壊を免れた。それで広島には珍しく戦前の古い町並みが残っている。
主催者の黒田敬子さんは僕のドキュメンタリー塾の塾生だが、昨年光洋寺の真向かいにある実家をリノベートして「ゲストハウス灘」をオープンさせた。昨年泊めていただいたが、築130年の古民家をリノベートしただけに、じつに趣のある素敵なお宿だった。
何度もお話ししているように、僕は広島の被爆二世である。海軍の技術将校だった父は予備役に回って広島の軍需工場に派遣されたため被爆した。爆心1.4キロ。工場の寮で4人で食卓を囲み朝食をとっていたが、父以外は即死だったという。なぜ父だけ助かったのかと言うと、ピカっと来た瞬間「おばちゃん、おかわり」と言って窓に背中を向けたから。嘘のような話だが、おかげで今の僕がいる。父と光洋寺につながりはないが、あの原爆を生き延びた因縁を感じながら「蟻の兵隊」と僕の体の中にある戦争を語らせていただく。
黒田さん、今年もありがとう! いろんな思いを感じながら精一杯つとめます。
光洋寺は浄土真宗のお寺だが住職を置かず町内の婦人会の方々が守っている。あたり一帯は原爆が落とされたとき、爆心地との間に比治山と黄金山という2つの山があり、それが盾となって爆風を直接受けることなく倒壊を免れた。それで広島には珍しく戦前の古い町並みが残っている。
主催者の黒田敬子さんは僕のドキュメンタリー塾の塾生だが、昨年光洋寺の真向かいにある実家をリノベートして「ゲストハウス灘」をオープンさせた。昨年泊めていただいたが、築130年の古民家をリノベートしただけに、じつに趣のある素敵なお宿だった。
何度もお話ししているように、僕は広島の被爆二世である。海軍の技術将校だった父は予備役に回って広島の軍需工場に派遣されたため被爆した。爆心1.4キロ。工場の寮で4人で食卓を囲み朝食をとっていたが、父以外は即死だったという。なぜ父だけ助かったのかと言うと、ピカっと来た瞬間「おばちゃん、おかわり」と言って窓に背中を向けたから。嘘のような話だが、おかげで今の僕がいる。父と光洋寺につながりはないが、あの原爆を生き延びた因縁を感じながら「蟻の兵隊」と僕の体の中にある戦争を語らせていただく。
黒田さん、今年もありがとう! いろんな思いを感じながら精一杯つとめます。
日本軍山西省残留問題 終戦当時、中国の山西省にいた北支派遣軍第1軍の将兵 59000人のうち約2600人が、ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流。戦後なお4年間共産党軍と戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。元残留兵らは 、当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし「祖国復興」を名目に残留を画策したと主張。一方、国は「自らの意志で残り、勝手に戦争を続けた」とみなし、元残留兵らが求める戦後補償を拒み続けてきた。 2005年、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告した。